津端修一さんとまちさなの出会いは、2014年の秋頃の話し合いで、畑はキッチンガーデンみたいだといいね、という話が出た時からでした。その時の私たちは、全くキッチンガーデンについて知りませんでした。そこで、手紙を送ってみました。すると、春頃にいかがですか?と返信があり、それで見学に伺うことになった、というのが始まりです。

 津端さんご夫婦は、人間と自然が共有できる生き方をずっと追及されており、キッチンガーデンというのもその形の一つなのですが、それとまちさなのしたいことがマッチしたようで、とても興味深げに話を聞かれていました。特に修一さんは、数年前に入院をしてもうこりごり、という印象を医療に対して持っていたようです。そんな医療の人たちが、自分と似たようなことを目指しているというのが、お二人にとって新鮮だったのかもしれません。

 その場で、土地に合った畑の使い方の提案もしていただき、英子さんの美味しい手料理のおもてなしも受けました。その時にレーモンド様式の提案はありましたが、すでに設計も終わっていましたので難しいよねえと話し、その時は終わりました。

 ただ津端さんの中で、せっかくいい計画なのに、こんな建物だと病気がぶり返してしまうよと思っていたようです。そして、長年自然と人の営みを共存したいと思ってきた建築家としての血が騒いだのでしょうか、「無償で良いから建物の設計の協力はできますか?」と次の日に津端さんからまちさなに連絡がありました。

 それは私たちにとっては、「本当に良いプロジェクトなら、本当に困った時に救いの手が現れる」という言葉のようでした。というのも、実際に送られた提案は、まさに街サナの理念と合ったものでした。その瞬間から私たちは、津端さんの提案を元にして動き出すことになりました。

 建物ができたらご夫婦をお呼びできたらいいねとスタッフ間ではよく話し合っていましたので、津端修一さんの訃報はとても驚きでした。以前頂いた手紙の中で、「最後の仕事として」という言葉を使っていたのが、本当にそうなってしまうとは思いませんでした。

 とはいえ、実際の形を作ることが、お弔いの一つになるのかもしれないと思い、計画を進めていきました。その途中で、大工さんと設計士の方が、津端さんの家をうかがい参考にするということもありました。そして、今の形ができてきています。

 実際に建物が引き渡されてすぐ、英子さんに来ていただき、完成したまちさなを見ていただきました。そして、木を植えてくださいとお祝いも頂きました。

 そういった偶然かもしれない、必然かもしれない一つ一つが、このプロジェクトの大事な要素になっています。私たちは、津端さんから大事なものを引き継いでいます。